悩んでいる人
こんな方にオススメの記事です。
この記事のもくじ
はじめに
こんにちは、Hikaruです。
夏も本番になり最近めっきり暑くなってきましたが、みなさま体調など崩しておりませんでしょうか。
夏と言えば吹奏楽関係の方には一大イベントである全日本吹奏楽コンクールが本来は開催されるはずでしたが、昨今の情勢を鑑みて全国で吹奏楽コンクールの中止が発表されました。
私自身も中学高校は吹奏楽部に所属していたので、コンクール中止による各所への影響の大きさは計り知れないと思いますし、コンクールを一つのモチベーションにしていた方々にとっては大変残念な発表でした。もちろん判断としては妥当でしょう。
……と、感傷的なお話をここまで繰り広げてみましたが、仮に私が学生だったとして、吹奏楽コンクールが無くなってもそんなに落ち込まないんじゃないかなと思うんです。
というのも私が高校生の時、一度吹奏楽コンクールに出場できなくなりかけたことがあり、その時にも無理して出ることないんじゃないかと本気で考えていたためです。
吹奏楽コンクールを心待ちにしていた方からしてみれば「有り得ないだろ!」と怒られるかもしれませんが、本当にそう思っていたのです。
実際に高校生当時、このことがきっかけで部員と真っ向から衝突することもありました。
果たして何が原因だったのか、それは吹奏楽コンクールに対する考え方の違いから生まれるものでした。
コンクールは本番の一つという考え方
吹奏楽部に所属されている方は、色々な本番で演奏する機会があります。
ざっと思いつくものだと、運動会や体育祭、文化祭、各コンクールなどでしょうか。私の場合は地域の商店街で演奏したり、地元のお祭りなどでの演奏活動なども学生時代にありました。
皆さんきっとどの本番であっても全力で取り組まれているでしょうし、本番を一つ終える度にちょっとずつ成長を重ねて、楽器の上達や新しい音楽性の発見などを繰り返してきていることと思います。
しかしそのような本番の中でも、私の周囲では吹奏楽コンクールだけは特別でした。
吹奏楽の甲子園とはよく言ったもので、やはり青春の一ページとして大きな影響を持っているイベントなのでしょう。それ自体は全く否定しません、むしろその通りだと思います。
私自身吹奏楽コンクールに関わる思い出は数多くあります、特に高校時代の合宿などはいろいろな意味で記憶に残っている出来事が多いです。
ただ、今こうやって記事を書きながら思い返してみても、吹奏楽コンクールというものに対してそこまで強い思いがあったかと言われると、答えはノーになります。
上に書いた合宿の思い出も、「吹奏楽コンクールの合宿」だったから思い出に残ったのではなく、コンクールと関係なく楽しいことが多かったから思い出に残っているのです。
なぜか。
私にとって吹奏楽コンクールというのは、数あるうちの本番の一つであり、通過点の一つでしかなかったからです。
吹奏楽部を見るか、音楽を見るか
吹奏楽部の方は大きく二つに分類できると私は考えています。
- 吹奏楽部で活動することが好きな人
- 音楽が好きな人
私は中学性の頃から音楽大学を目指していて、将来は世界的な音楽家になることを夢見て日々研鑽していました。言い方は悪いですが、吹奏楽部の活動は体の良い練習場所の確保や、アンサンブルの練習ができる場所、人前で演奏できる機会をくれる場所という認識でした。
元々集団に対する帰属意識もあまりない子供だったので、吹奏楽部という団体に何か強い思いがあったとは決して言えません。ドライと言えば聞こえは良いですが、嫌な子供だったと思います。
私にとっては吹奏楽コンクールも自分の成長のための通過点の一つでしかありませんでした。
もちろん集団は人と人との繋がりで成り立っているものということは分かっていたので、部員とは出来る限り良好な関係を築こうとしましたし、希少だった男子とは今でも交流があるくらいの仲となりました。
それでも浮き彫りになる考え方の違いは、当時の自分でも予想ができないほどに大きなものだったのです。
ここまで読んで頂けた方は、私がどちらに分類されるかもうお分かりですね?
言うまでもなく2番です。皆さんはどちらでしょうか?
危機的な状況で見えた本音と本音
高校一年生の時の夏、私は吹奏楽コンクールに選抜で出場していて、1stトランペットで合奏に乗っていました。練習や合宿であっという間に時間は過ぎて、気付けばコンクール当日。
前年度までは銀賞がほとんどで、たまに銅賞のこともあった母校なのですが、その年の結果はまさかの金賞かつ最優秀賞。当時B組で出場していたので、そのまま東日本大会へ進むことが決定しました。東日本大会は数か月後、会場は石川県だった記憶があります。
しかし、ここで問題が起きました。
元々上位の大会へ進むことを想定していなかった母校は、遠征に必要なだけの予算を吹奏楽部に割いていなかったのです。残っていた部費だけではとても遠征などできるはずもありません。
そこで部員や顧問が考え出した案は、「大会前に行われる文化祭で寄付金・募金を来場者から募る」というものでした。
どのように寄付金を募るのかと聞いてみれば、部員が募金箱を持って学校中を練り歩くというものです。正直な話、私は「そこまでして出場するべき本番なのか?」と考えていました。
高校生といえば多感な時期です、特に私はひねくれものだったので、お金をせびるような真似のように感じてしまい、そのような行為を人前でしたくありませんでした。
そのような気持ちが態度にも出ていたのでしょう、あっという間に部員と私は衝突しました。
よく言われたのは、「コンクールに出たくないのか」「大事な思い出なんだから」「みんながやろうとしてるんだから」などなど。
私の返事は「コンクールに出たくないわけではないが、本番の一つでしかないし、無くなっても大して困らない」というものでした。
この明らかな考え方のズレ、間違いなく私と他の部員との物の見方の違いや音楽に対するモチベーションや考え方の違いから生まれているものでした。
私は音楽を見ていました、彼らは吹奏楽コンクールを見ていました。
見ているものが違うのですから、そもそも議論になるはずがなかったのです。
お互いの主義主張を受け入れることができるほど、当時の私たちには度量がありませんでした。高校生ということを考えると仕方がないことかもしれません。
結局数で負けた私は嫌々ながら文化祭の日に声を張りながら募金箱を持って他の部員と校内を練り歩きました。
結果集まった集金額は大したものではなく、最終的に学校側が予算を捻り出し、追加で部費を徴収することで遠征は無事に終了しました。
こういうヤツが一人くらいいても良い
もしかしたら私のようなひねくれものは珍しいのかもしれません。逆に私のような考え方が一般的で、たまたま私が置かれていた環境が珍しかったのか……それはないですね。
きっと音楽を主軸にして吹奏楽部に所属して日々研鑽している方の大半は、仲間との友情も同時に育んでいる健全な精神の持ち主で、ある程度の帰属意識をしっかりと持った方だと私は信じています。
ただ、今回の私のようにコンクールに対して特別な感情がなく、本番の一つであり成長の踏み台としか見ていないような人間も中にはいるのです。
でも、そういうヤツが一人くらいいたって良いんじゃないかなと私は思います。
音楽を主軸において吹奏楽部で活動するも良し、吹奏楽部という集団に属して活動することを主軸とするも良し。
どちらが正しいとか間違っているとか、そういう話では決してありません。どちらの考え方もあって良いのです。
だから吹奏楽コンクールを通過点と考えようが、終着点と考えようが、それがその人の考え方であって、否定するべきものではないのです。
私もコンクールに特別な感情がないからと言って練習をサボっていたわけではありませんし、むしろ人一倍練習に臨んで合奏にも誰よりも参加して、誰よりもスコアを読み込んでいた自負があります。
コーチがいない時に合奏を見ることもありました、そういう点では吹奏楽部に貢献できていたのではないかと思うのです。
どちらのタイプであっても、それぞれが何かしらの形で力を与え合えているのであれば、それで良いのではないでしょうか。
まとめ
今回はかなり極端な内容だったかもしれませんが、私の経験談からコンクールというものの考え方について、そして物の見方の違いという点で書かせて頂きました。
今年度の吹奏楽コンクールが中止になってしまったことで悔しい思いをしている方にとっては、心情的にあまり理解できない内容だったかと思います。
ですがこのような考え方、物事の見方もあるんだと知っておくことで、もしかしたら鬱屈した思いを別の方向に向けるためのきっかけになるかもしれません。慰めになるかは分かりませんが、まだ本番はこれから先にいくらでもあります。そして人生はまだ終わりません。
私も一番最初から吹奏楽コンクールを通過点の一つと考えていたわけではなく、コンクールを含めた全ての本番一つ一つに執着して自分の心に負担がかかるくらいなら、少しラフに考えてみようと思い至った経緯があります。
逆に今回のコンクール中止についてスッパリと割り切っている方、その感覚はとても大事です。ただし割り切り過ぎて周りと衝突しないようにだけ注意してもらえれば万事上手くいくのではないかなと思います。
今回の内容が、吹奏楽コンクールに対してこういう考え方もできるんだという一つの逃げ道として、誰かの心に留まってくれたら嬉しいです。
これからも皆さんが素晴らしい音楽ライフを送れることを願っています。
今回はここまで、それではまた!